寝屋川の小学校に突撃したガキについて。

昼間のワイドショーで大谷昭宏をはじめとしたバカが吠えるのが目に浮かぶ。ゲームと犯罪との関連について十年一日のごとく不毛な分析と議論が繰り返されるのだろう。

ここであえて言っておきたい。小林薫の事件でもそうだったが、ヲタの妄想と実際の犯罪との溝は、大谷らジャーナリストや精神科医、心理学者の連中が考えてるよりもはるかに広くて深いと思うのだ。これはオレがヲタのやたらに多い学校で中高時代を過ごしたからかもわからんが、ヲタ属性を持つ人間はそれこそ成績トップクラスから最下層まで、運動神経のレベルでもピンからキリまでいた。しかし、他人の心を斟酌できないような知性の足りない人間はほとんどいなかったと断言できる。「現実と妄想の区別がつかない」ような危ない連中では断じてなかった。その点で、過去に幼児への猥褻事件での逮捕歴があり、二度目は実刑判決を受けて服役していた小林薫は、むしろ犯罪を起こした国士舘大学亜細亜大学の体育会系連中との親和性を強く感じる。論旨がぼやけてきたが、ヲタは自らの妄想内で欲望を消化しているからむしろ安全であるとすらいえないかということである。そのあたりの現実感は人並み以上にあるというか、だからこそヲタでいられるというか。女が好きなら生身の女にアタックすればいいところ、それができない気の弱さが彼らの特徴ではないかと思うのだ。もちろん、オレの高校にいたようなヲタがすべてそんな連中だというわけではなく、普通に現実と折り合いをつけているのがほとんどだ。ただ、そうでないからといって犯罪に向かうのではなく、むしろ内向きに向かうのがヲタではなかろうかといっている。


しかし、オレはそれとは別に、こういった怒りの爆発、あるいは虚無感からの犯罪が自分にも起こりうるんじゃないかと真剣に恐れている。私生活というか現実がうまくいかないとき、その原因を過去に求めてしまう気の弱さをオレは十二分に備えていると思うし、宅間守と自分との差がそれほど大きいとも思えない。これは、ヲタだとかなんだとかいう問題ではなく、もっと根源的な心性の問題だと思う。