ある異常体験者の偏見/山本七平


たとえば、百人切り競争があったか、南京大虐殺があったか、ということはどうでもいいとして(よくないが)、


「そういった言説が如何にして世間に蔓延るようになったか」
「そういった言説はどのような思考によるものか」
「何故日本は負けると分かっている戦争を仕掛けたのか」


を論じているのが非常に面白い。
が、よく考えたら、極めてまともなことしか書かれていないのだ。

  • ソースを出す
  • 事実に対して思想や信条による批判をしない
  • 相手の意見を認める
  • 自分の言動に責任を持つ
  • 人に厳しく自分に優しい、所謂「ダブルスタンダード」を設けない
  • 「自分だけは違う」というように、高みに立って批判しても何も解決しない


当たり前のことである。しかし、当たり前のことが
まともにできない、できていないのが
当時の「商業軍国主義者」であり、今の日本人だった。
日本軍が消えても、日本を過たせたこの連中は残存した。


つーこってすな。
ゆえに、当時の状況と同じようなことはこの著作が出た1973・74年にもあり、また30年経った現在にもある、
ということが非常によく分かるようになっている。


たとえば、「悪魔の論理」。

「荒野のイエスに悪魔が言った。お前は神の救いを信ずるというがそれは嘘だろう。本当はオレの言うことが正しいと思っているんだろう。そうでないと言うなら、神殿の屋根からとび下りてみよ。神の救いがお前を支えてくれて、絶対に墜死もせず足も折れないはずだから。

―――なぜしない、しないのは内心ではオレの言葉を絶対に正しいとし、それに従っている証拠だ」

これが、
軍隊においては「便器がきれいだと思うなら舐めてみろ」
1970年代では「百人切りができるか実験してみますか」(byホンカツ@キ印)
カドミウム入りの水を飲んでみろ」
1990年代後半には「ダイオキシンまみれの野菜を食え」
2003年の後半には「イラクが安全なら息子を行かせろ」
になる。


テレビに露出して他者の責任を言い立てる人間は
どうしてあんなに傲慢なんだろうという漠然とした疑問に対する答えが
ここまで鮮やかに示されるのを見て思わず震えたね。