追いコン。


12:10、東女に到着。入校手続きがあまりにも久しぶりなことに気づき、ちょっと戸惑う。不思議と感慨はあまりなかった。部室に行って置き土産。合宿関係者の皆さん、ごめんなさい。

6115教室に入ると、ピアノの練習をする在団生。やっぱり部室に戻るか。男声曲の練習をしておく。声を出すこと自体は問題ないが、風邪で喉がやられている。練習を切り上げて再び6115に行き、卒団生を待つ。男声が集まったところで、またしても部室に。練習。出来は散々。ブランクのためでもあるが、それにしてもひどい。

時間が来たので6110教室へ。手違いで少々待たされた後、入場。笑いと拍手。くじを引く。着席。乾杯。歓談。


そして、卒団の挨拶を述べる。色紙、花、ソーノだよりを受け取る。色紙を見てみる。笑みがこぼれる。「・・・まず、ない知恵を振り絞ってスペースを埋めてくれた皆さんに、ボンクラ供の皆さんに、心の底から御礼を申し上げます・・・」しかし、卒団の実感がないままこうして挨拶を述べることにどれほどの意味があるのだろうか。むしろ、こうして「挨拶」として述べることで、自ら訣別してしまうような、ソーノを自分から遠ざけてしまうような感覚に捕らわれた。そして、そう感じた途端、胸がいっぱいになって喋れなくなった。だが、涙は出なかった。まったく俺は、公的な場所で涙を流せない奴だ。定演のアンコールでは大泣きだったのだが。緊張からか。それともこのところずっと泣いていたため、涙が涸れ果てていたためか。*1予定では、「・・・胸がつまって・・・」のところでつ・・・とひとすじの涙を流すはずだったのに。


6115に移って想い出の歌を歌う。最後まで緊張する。そして、満足な結果は出ない。いつもそうだ。一つ上の学年とは色々と比較されてきた。僕らは彼らに及ぶことはついになかったが、それは、実力差もさることながら、プレッシャーに弱い連中が多い、というのがあった。その事実が逆に”僕らは物怖じしないあの人たちの姿に憧れて4年間やってきたんだ”ということを実感させてくれた。少なくとも、僕にとっては、それはソーノに残る強い動機であった。

想い出の歌は続く。しかしやはり涙は出ない。だが、歌いたい歌の多くを歌えた。もっとも歌いたかった「こいうた」こそ歌えなかったものの、悔いはない。


すべてが終わり、色々なものをもらった。死ぬほどうれしいです。一生忘れません。写真も、物品も、一生の宝物です。


その後は飲み、麻雀と続く。結果は言うまい。

*1:いずれにせよ、定演では泣けた。ステージというパブリックな場所をまるで自分の部屋であるかのごとく、自分の世界であるかのごとく感じて歌えたことは幸せであった。